【第一章】曹洞宗について
大本山 永平寺
大本山 永平寺
釈迦牟尼仏によって説き示された教えは、その二十八代の法孫菩提達磨により、支那に伝えられ、達磨より六代の弟子大鑑慧能を経、さらにその五世の法孫洞山良价に伝えられました。道元禅師により日本に伝えられたのは、洞山の弟子の雲居道膺、さらに其れより十一代後の天童如浄に伝わる法系です。本来支那でいう曹洞宗は洞山から弟子曹山本寂に伝わる系統をいいますが、この系統はすでに絶えました。
現在日本に伝わる曹洞宗は、曹渓山に住した慧能の 「曹」、洞山に住した良价の 「洞」 の系統という意味で曹洞宗といわれます。道元禅師は、正治二年 (一二〇〇年) 源通具の子として京に生まれました。幼くして両親を失った道元禅師は、十三歳の時に比叡山に登り、天台教学を学びます。しかしその教えに疑問を抱き、十八歳で比叡山を下り建仁寺を訪ね、さらに貞応二年(一二二三年) に中国に渡り、各地を遊学し、ついに如浄禅師を師として心身脱落の境地を得、その法を継ぎました。
嘉禄二年(一二二六年)帰国した道元禅師は、宇治に興聖寺を開きます。その後、越前に移り大本山永平寺を建て、自らの理想とする正伝の仏法の提唱と弟子の養成につとめました。道元禅師から四代目にあたる瑩山禅師は文永元年(一二六四年) (一説に文永五年(一二六八年)) 越前の豪族瓜生氏の生まれといわれています。母親の熱心な観音信仰の影響を受け、幼少時から信仰心に目覚め、十一歳で永平寺に入り、十七歳の時永平寺二世弧雲奘禅師について出家得度しました。
その後永平寺での修行、さらに諸国を行脚し、ついに永仁三年(一二九五年) 永平寺三世徹通義介禅師の法を継ぎました。瑩山禅師は能登に大本山總持寺を開き(現在は横浜鶴見に移転)、多くの優れた弟子を養成しながら大衆教化にもっとめ、現在の日本最大の寺院数を 誇る曹洞宗の素地をつくりました。曹洞宗は道元禅師を宗派の父、瑩山禅師を母にたとえ、両祖と仰いでいます。瑩山禅師の弟子のうち總持寺二世の峨山韶磧禅師には二十五哲といわれる優れた弟子を輩出し、各地に教線を張りました。当地方に最も関係深いのは、二十五哲の中の通幻寂霊禅師の弟子で小田原に最乗寺をお開いた了庵慧明禅師で、当光源院を含め、この地方の多くの寺はこの流れを受けています。
